面倒くさい仕事は真っ平ご免である。
面倒くさい仕事にはできればかかわりたくない。
面倒くさい仕事は身体に悪い。
歳を重ねるとともに自分自身でも心底そう思うようになってきた。
しかしながら現実は、数え切れないほどのご来客とミーティングに対応し、平日は出社、
休日は在宅勤務(笑)を繰り返し、山の様な書類に取り囲まれ、
通勤かばんはいつの日からか書類ギッシリのトラベルキャリー2台となり、
毎日出張か家出を繰り返しているが如くである(笑)
真っ平ご免と言いながら、今も連日面倒くさい仕事にどっぷり浸って生きている。
面倒くさいと言いながらも、毎日解決にのめりこむ自分自身に本当に呆れてしまう。
でも、面倒くさい仕事をやり遂げた時ほど嬉しいことはない。
デジタル技術の進歩で、面倒くさい仕事もずいぶん退治されたが、
デジタルでも解決不能な面倒くさい仕事も健在である。
人生振り返ってみると、社会人になって以来数え切れないほどの面倒くさい仕事と過ごしてきた。
そのお陰で、自分自身のアタマも腕も根性も鍛えてもらったように思う。
サラサラと、スルスルと、面倒くさい仕事をすり抜けて生きてきたならば、
つかみどころのない人間になっていたような気がする。
そう考えると、面倒くさい仕事に感謝である。
先日、社内での出来事、仕事の書類が入った厚さ15センチほどのカバンを持ち、
フリーアドレスの座席に向かう社員を見た。
「アッ、彼の仕事は厚さ15センチで済むんだ」
「厚さ15センチでは、面倒くさい仕事は収まりそうもないなぁ・・・」
「出来るだけ面倒くさい仕事が来ないように工夫しないとダメだなぁ(笑)」
ほんの一瞬の光景からこんなことを感じた。
スマートワークという単語がもてはやされる現代において、面倒くさい仕事を絶賛する訳ではないが、
面倒くさい仕事をやり遂げることの収穫も考えてみるべきだと思う。
また、頼りにされる人間ほど、面倒くさい仕事が好き好んで近寄ってくるような気がする。
だから、面倒くさい仕事に取り囲まれている人間ほど、
それだけ頼りにされている証拠だと考えれば、気苦労も半減することだろう。
何はともあれ、不幸にもやってきた面倒くさい仕事には、
真剣勝負で正面から向き合って退治してもらいたいものである。
繰り返していく内に、きっと自分自身の成長を実感する日が来ることだろう。
人間力とは難題解決力、そして難題解決は面倒くさい仕事の最上級である。
面倒くさい仕事と仲良く付き合い、人間力を高めて、逞しく人生を歩んでもらいたいと思う。
(令和4年社内向け年頭所感より)