TOP

沿革

1959年

PICK UP

PICK UP

大阪天王寺区に機械工具卸売業、中山機工商会として創業 本社

大阪市天王寺区に機械工具商「中山機工商会」を創業する。創業者である中山注次は創業にあたり5つの誓い「五カ条」を定め、信用を積み上げていく。これらは財務基盤や商品アイテム数というかたちで現在に受け継がれている。また当時からカタログや物流など現在の当社の根幹となるようなビジョンを持っていた。

1962年

PICK UP

PICK UP

10月

名古屋営業所を開設

出先第一号となる名古屋営業所を10月に開設し、中部圏に進出。名古屋を訪れた注次社長が市内で得意先の社長に偶然会い、名古屋出店の想いを伝えると物件を紹介いただき、そこから開設へとつながった。当時の注次社長は、即決。出店第一号の感激を「夜寒町、という所在地の町名が印象的であったこととともに今もなお忘れないでいる」と語っている。

1964年

PICK UP

PICK UP

3月

PB商品第1号地球ブランド商品の「光明丹」商品化

機械工具業界において最後発であった当社は創業当時、有名ブランドメーカーからの商品供給が限られていた。そこで発想を転換し「工具以外でモノづくりの現場に必要な商品」の開拓を進めた。この発想こそがプライベート・ブランド誕生の第一歩だ。1964(昭和39年)の第一号商品地球ブランド「光明丹」の販売から約50年経ったいま、アイテム数は3万点を超える。今後も"ユニークで他にはない商品"を目指して開発を続けていく。

3月
中山機工株式会社設立 大阪市東区 本社
初の商品カタログ「中山商報」創刊
5月
東京営業所を開設

1965年

5月
名古屋営業所と東京営業所を支店に昇格

1966年

1月
資本金を1,100万円に増資
11月
東京支店を東京都大田区久が原5丁目に移転
資本金を2,200万円に増資

1967年

PICK UP

PICK UP

3月

東大阪市金物団地に東大阪支店(スチールセンター)を開設

40年不況から長期のいざなぎ景気に入った日本産業界は製造現場での工程管理を強め、小品種多量生産は製造の品質向上が叫ばれた。このため、工場では工具や部品の収納、在庫管理にスチール棚やキャビネット、コンテナが必然的に要求された。需要が増えるとともに当社でも販売が増え、営業の柱となっていった。

12月
「中山商報」を「機械工具総合カタログ」に改名

1968年

PICK UP

PICK UP

1月

広島営業所を開設

広島市中広町1丁目に広島支店を開設し、ここを拠点として、西部地区開拓に乗り出していった。一方、首都圏もさらに東京都板橋区板橋1丁目に板橋支店を開設、同時に東京支店を開設2年目にして大田支店に呼称変更し、首都圏ネットワークの形成を徐々に進めていった。

11月
板橋営業所を開設
東京支店を大田支店と呼称変更
資本金を4,400万円に増資

1969年

PICK UP

PICK UP

4月

社内報「中山ニュース」創刊

全国展開に向けての礎ができ始めた60年代後半には社員数も急増し、69年には130名にのぼった。そこで社員間の親睦と情報伝達を目的に、同年8月、社内報「中山ニュース」が創刊された。誌面には中山注次社長や役員の経営方針、時代のトピックス、人事異動、イベントや社員の声などが掲載された。同時に、社員親睦会「若竹会」の活動も始まり、ボウリングやゴルフ、山岳などのクラブ活動を通じて社員の親睦を深めた。その後、社内報は「若竹会報」「わかたけ」「はんどめいど」と名称を変えつつ、社内コミュニケーション誌としての役割を受け継いでいる。

1月
元帳記帳~請求書発行を機械化
コンピュータ導入(75~)の先駆け
5月
大田支店を東京都大田区池上6丁目に移転
大田スチールセンターを東京都大田区久が原5丁目に開設
10月
福岡営業所を開設

1970年

PICK UP

PICK UP

10月

システム導入による経営の効率化

69年にNCR会計機を導入し、元帳記帳から請求書の発行までを機械化した。翌年には「コンピュータ企画室」を本社に設置し、本格的なコンピュータ活用に向けてのプロジェクトが始動。71年にはビリングマシン機を採用し、伝票発行の完全機械化を行った。それにより、経理で伝票の検算、日計のそろばんが不要となった。74年には、事業所との連携や商品情報の共有を目的として、システムを開発。75年には、本社・京都営業所・産機家電事業部・中山ファイリング本社を結ぶ、「初代オンラインリアルタイムシステム」が稼働した。このシステムの対象範囲は、販売管理、仕入管理、在庫管理など広範にわたっていた。

10月
コンピューター企画室開設

1971年

PICK UP

PICK UP

1月

本社を移転 東大阪市機械卸売業団地 本社

昭和40年代の好況の波に乗り、大阪周辺の機械工具卸業界が、東大阪市に「大阪機械卸売団地」を開設。7万平方メートルを超える敷地に、100社以上の店舗や展示場などが建設された。当社としても、事業拡大を図るには広いスペースが必要であり、営業活動・商品配送の円滑化のためにも当地への本社移転を決めた。5階建の新社屋71年に完成。ここを本拠地として、全国に広がる支店の要とした。

3月
中山ファイリング株式会社設立
6月
伝票発行の完全機械化

1972年

9月
中山ファイリング東京営業所開設
12月
姫路営業所開設

1973年

PICK UP

PICK UP

10月

多店化政策(福山営業所開設・新潟営業所開設・金沢営業所開設)

73年の第1次オイルショックにより、景気は低迷し、企業は生き残りをかけて経営の合理化を図らねばならなくなった。その中で当社は、商圏を拡大するために多店化政策を推進し、次々と営業所を新設した。
73年には、岐阜、福山、新潟、金沢に営業所を新設。また中山ファイリングも営業所を増やし、73年には名古屋に、74年には広島、東京の葛飾と板橋にそれぞれ開設した。不況の中、一見大胆に感じられるこの政策も、綿密な計画と社員一人ひとりの奮闘により成功を収めた。

1月
小冊子「新入社員教育」(現キーワークス)発刊

1974年

PICK UP

PICK UP

8月

大田支店の新築移転

関東一円を把握する一大拠点にふさわしい大田支店の建物を新築移転した。年々増大する商品の配送を、迅速にかつ低コストで行うために、物流センターを整備することが不可決であったが、その条件を満たしていた。大田支店地区のみならず、葛飾、板橋両営業所を傘下に置き、関東地区の流通センターとして重要な機能を果たすことになる。

9月
グループ売上 100億円に到達
10月
初のオンラインシステムを開発

1975年

4月
初のオンラインシステム「FACOM 230-15」本格稼働
電算システムによる経営管理に着手

1976年

4月
秋田営業所開設
6月
札幌営業所開設
11月
中山機工(株)資本金6600万円に増資

1977年

PICK UP

PICK UP

2月

中山ファイリング本社社屋完成・移転

東大阪市本庄西1丁目の大阪機械卸業団地付近に中山ファイリング(株)の本社社屋を完成させ移転。規模としては、建延3,500平方メートルあった。そして、小倉営業所を北九州市小倉区に開設させ、ファイリングの営業ネットを拡大していった。

12月
中山ファイリング小倉営業所開設

1978年

4月
上越事務所開設
6月
中山ファイリング新潟営業所開設
7月
木更津事務所開設

1979年

PICK UP

PICK UP

11月

第2次オンラインデータベースシステム「FACOM-V」導入

新商品の導入にも積極的に取り組んできた当社では、取扱商品が年々多様化し、管理システムも複雑化していった。
79年には、本社に小型コンピュータFACOM-Vを導入し、ディスプレイ端末を用いた「第2次オンラインデータベースシステム」が完成。82年には東京地区にもこれを導入し、大阪、東京の電算2拠点体制が整った。

2月
独自のオンラインデータベースシステム「NICE」導入(経営管理を効率化)
3月
中山機工(株)資本金9,900万円に増資
11月
中山機工(株)資本金3億7,500万円に増資

1980年

6月
八戸事務所開設

1981年

4月
DIY課開設
ホームセンター業界へ進出開始

1982年

PICK UP

PICK UP

4月

新入社員研修開始(奈良県信貴山)

「企業は人なり」をモットーに、当社では「人材の育成」を大事業ととらえ、新入社員研修にも力を入れた。
象徴的なのが82年から始まった合宿形式の「集合研修」だ。奈良県金剛生駒国定公園にある信貴山で行われるようになり、毎年恒例となった。2012年からは箱根で実施、現在まで続いている。
研修は「新入社員研修テキスト」を利用した講義のほか、スピーチ訓練、屋外実習訓練があり、ここで社会人としての規律や仲間とのチームワークなどを徹底して学ぶ。新人研修には他に、「本社研修」があり、ここでは実務的な基礎知識を身につけるプログラムが組まれている。

1983年

PICK UP

PICK UP

10月

海外取引を開始

80年代には、通信衛星、コンピュータ、ファクシミリなど、海外との通信手段が発達し、日本企業の海外進出も活発になってきた。当社も、海外ネットワークの形成と販売チャネルの拡大を目指し、83年に貿易部(現海外部)を開設した。そして韓国、台湾、中国、タイ、シンガポールなど、アジア各国への販売が始まった。

10月
貿易課開設

1984年

PICK UP

PICK UP

2月

DIY事業部発足

当時、成長し始めていたDIY(ドゥ・イット・ユアセルフ)市場へ積極的に営業展開を進めるため、84年にDIY事業部(現在のHC営業部)を開設。プロツールの取扱いから得たノウハウで、ホームセンター(HC)への販売に取り組み始めた。当時のHCは生活の個性化、多様化によって販売商品のバリエーションも拡大していた。HCとの取引開始によって、当社でも商材の拡張がはかられた。94年にはHCの求める商品供給スタイルに応え、FOS(補充発注システム)を導入した。

7月
宇部事務所開設
11月
岡崎営業所開設

1985年

1月
「中山商報」リニューアル
7月
郡山事務所開設

1986年

9月
グループ売上500億円突破

1987年

PICK UP

PICK UP

10月

中山ファイリング株式会社と合併

それまで、中山機工株式会社と中山ファイリング株式会社に分かれていた事業を、「同じ釜の飯を喰う仲間意識で結ばれた同志なら、社名も同じく運命を共に等しく分かちあえる条件こそ望ましい」という想いのもと合併。機工事業部、産機家電事業部、ファイリング事業部の事業部体制となった。既に売上高は500億円を突破しており、会社が大きくなるにつれ社会的な責任も増していたため、株式公開をすることにより、社会に貢献する企業として認められ、永続的に業績を上げていく体制をつくるためにも必要なことであった。

10月
「新企画委員会」スタート

1988年

PICK UP

PICK UP

1月

全社オンラインシステム「FACOM - M730」稼働

中山機工におけるコンピューター活用の歴史は古く、70年よりコンピューターのプロジェクトチームを組み、取り組んできた。88年には、高度情報化のニーズに対応するため、大阪・東京の二極電算化体制により、全国オンライン網が完成し、タイムリーな情報処理と、受発注や配送処理の連携でトータルオンラインシステムが稼働した。

9月
株式分割(1株500円を10株50円に)資本金15億4896万円に増資

1989年

PICK UP

PICK UP

10月

創業30周年記念式典開催

当時常務であった中山哲也社長は、創業30周年を期して「Big Evolution(大いなる進化)」をメインテーマとして掲げ、21世紀に対応する大構想を次のように語っていた。「この記念すべき年を境に、当社は新生中山機工として大きな飛躍を遂げねばなりません。その飛躍を支える三つの大きな事業があります。一つは、中山ファイリングとの合併を皮切りに始まった新組織体制の確立です。
もう一つは、超大型コンピューター導入による情報武装商社への脱皮です。
最後に、流通商社にとって最大の武器である物流センターの建設です。
卸売業は、複数の業種の集合体でもあります。そして現在では価値ある情報をリアルタイムにお客様に提供できる、情報業としての役割をも持たねばなりません。どれかひとつでも脆弱な部分があれば、企業はその体力を急速に失うでしょう。全事業所のさらなる地域密着型・物流体制の強化を急がねばなりません。」今の当社の事業形態は、35年も前から中山哲也社長がぶれずに目指してきたものであることがわかる。

3月
株式公開(東京・大阪)、店頭登録
5月
創業30周年
ページトップへ戻る