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沿革

1990年

4月
事業部再編( 4事業部6部門制)
6月
社内報「はんどめいど」発刊(「わかたけ」を改名)

1991年

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1月

基幹業務支援システム 「N・STEP」稼働

大型コンピューターを大阪本社に導入し、第4次オンラインシステムを本格稼働した。大阪、東京の二極分散型から大阪本社一極集中のオンライン方式に切り替え、全国58か所の事業所をリアルタイムで結んだことで基幹業務を標準化し、全社均一な情報処理が可能となった。また、仕入れと販売業務のさらなる効率化を図った。「N・STEP」はNakayama System Techology for End - user's Productionの略。当社電算室社員30名を中心とした計70名によって大規模に開発された。

12月
組織再編 取締役12名選任/5ブロック制(東北・東部・ 中部・関西・西部)へ移行

1992年

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1月

CIプロジェクト「B・E・プラン21」導入

89年に「Big Evolution 大いなる進化」を当社のメインテーマに掲げ、92年より21世紀に向けて企業を進化させるため、「B・E・プラン21」と命名したCI(Corporation Identity)プロジェクトを始動した。
当時専務であった中山哲也社長が指揮をとり、会社の本質的な改革を目的として、存在・経営・行動の3つからなる企業理念を制定し、企業としての考え方を明確にした。また、コーポレートロゴ・新社名の検討や、各地でのイベントを行った。87年に開設した新規格委員会も定例化し、役員と若手社員を中心にアイデアを出し合いワークショップを重ねた。

5月
奈良工場完成( 10月より稼働)

1993年

4月
本社を移転 東大阪市新庄西 本社
5月
第1回「全国秀峰会」開催

1994年

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1月

社名変更「トラスコ中山株式会社」

92年2月の社名変更に関する社内アンケート実施を皮切りに、社名の変更について議論を重ね、93年7月新社名が決定。その後ロゴデザインなどを決定し、翌94年1月に「トラスコ中山株式会社」という新社名のもと、新生トラスコが誕生した。この社名は、「TRUST(信頼)」と「COMPANY(企業)」をかけ合わせ、「信頼を生む企業」を表現した造語だ。94年には念願の大阪取引証券所市場第二部上場も果たした。94年は会社のさらなる飛躍を目指して新たなスタートを切った、記念すべき年といえる。

2月
「B・E・プラン 」第1回新企画委員会
4月
大阪証券取引所市場第2部に上場
初の物流センター「プラネット九州」開設
6月
第1回アメリカ研修ツアー(全4回)
8月
元取締役中山清子(創業者中山注次夫人)社葬
12月
中山哲也代表取締役社長就任

1995年

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1月

企業メッセージ「がんばれ!!日本のモノづくり」導入

中山哲也社長の新体制となり、企業メッセージ「がんばれ!!日本のモノづくり」が打ち出された。これは、産業空洞化が加速する時代に、当社が卸売商社として日本の製造業を応援する強い意志を表明したもので、新社長の打ち出した初めての大きな経営方針でもあった。当社は何のために、誰のお役に立つために事業を行うのかを追求し、日本の製造業を支えるためであることをこのメッセージに込めた。この企業メッセージは、現在も当社の使命を表すものとして使用されている。

1月
阪神・淡路大震災(神戸営業所被災、社内義援金募集など救済活動を展開)
4月
プラネット大阪開設
5月
東京証券取引所市場第2部上場
10月
プラネット東京開設

1996年

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3月

東証・大証市場第1部銘柄に指定

95年5月に東証二部上場から1年を待たずして、96年3月に念願の東証・大証一部上場を果たした。売上高982億5800万円、経常利益53億1900万円。「一部上場というのは喜ばしい事である一方、我々に鋭く変身する事をも要求しております。」(はんどめいど96年4月号 中山社長所感より)この言葉にあるように、よりレベルの高い企業へと進化するべく、全社員一丸となってさまざまな取り組みを推進した。また、中山哲也社長は株式上場を振り返って次のように語っている。「株式上場は漬物石と同じ。美しい漬物を作るには重い漬物石が必要であるのと同じく、「良い会社」づくりにも重石(社会の目、大きな作業)が必要である。」

5月
七夕会の前身「あきんど会」発足

1997年

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1月

プラネット北関東開設

94年に開設したプラネット九州に続き、物流センターの開設を全国に広げ、95年には大阪・東京に、97年には北関東、98年には名古屋に、大規模物流センターを開設。
さらにプラネット大阪では新たな試みとして、物流センターから事業所への巡回配送(在庫補充・取寄品等)を夜間に定期便化した。
この「サテライト物流システム」を大阪・京都・滋賀・兵庫エリアで実施。お客様向けの昼の定期2便と併せて「プラネット&サテライト物流システム」を構築し、「常にお客様へスピーディに、確実に商品をお届けする」という創業時よりの基本精神を実弁していった。

4月
インターネットホームページ開設
9月
創業以来初の売上高1,000億円突破
10月
公益財団法人 中山視覚障害者福祉財団設立

1998年

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7月

修理工房「直治郎」サービス開始

販売店様へお届けする配送便の荷台が帰りには空っぽになっていることに着目し、プラネット事業所・サテライト事業所のお客様を対象に、商品の修理やメンテナンス等のアフターケアを専門に行う新しい事業を、修理工房「直治郎」としてスタートさせた。お客様への配送便を、そのまま修理品回収車として活用することで、プラネット&サテライトシステムに乗せて速やかに、低価格で修理・納品を行うことを可能にした。

6月
プラネット名古屋開設

1999年

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11月

創業者・中山注次勲五等瑞宝章受章

創業40周年の記念の年に、99年11月、機械工具卸として業界の発展に寄与したことが公に認められ、当社の創業者、中山注次が勲五等瑞宝章を受章した。受章について、中山注次は以下のように記している。
二度と母国の土を踏むことの無い戦地に送られ、果てしない荒野と飢えに耐え抜いて全滅寸前。たった数パーセントの中に生残る幸運に恵まれたあの日の生還にも勝る勲五等瑞宝章の重みを心静かに受け止めている。

5月
創業40周年
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